現代の「賽の河原」か、それとも「最強の無料ジム」か
都市部の巨大モールから近所のスーパーまで、買い物の必需品である「ショッピングカート」。これを駐車場からお店へと戻す「カート回収」という仕事は、一見すると誰にでもできる単純作業に見えます。
しかし、ネットで「カート回収 バイト」と検索すると、サジェストには「きつい」「地獄」といった不穏な言葉が並びます。その一方で、「最強の有酸素運動」「痩せるバイト」と絶賛する声も少なくありません。この評価のギャップは一体どこから来るのでしょうか?
この記事では、カート回収という仕事を単なる「バイト」としてだけでなく、体の仕組みや法律、そして物流のプロの視点から徹底的に深掘りします。
「アスファルトの上で重いカートを押すとなぜ疲れるのか?」「もし車にぶつけたら自腹なのか?」といった、求人情報には載っていないリアルな疑問を、データと根拠をもとに解明していきます。
これから応募しようか迷っている方も、いま現場で奮闘している方も、この記事を読めば「カート回収の本当の姿」が見えてくるはずです。
なぜ疲れる? 体への負担を科学的に見てみよう
「なんとなくきつそう」というイメージを、具体的な数字で見てみましょう。カート回収とは、要するに「不規則に動く重いものを、抵抗の強い地面でひたすら押し続ける」作業です。
1.1 実はこんなに重い! カートの重量と「押し始め」の壁
普段何気なく使っているカートですが、実は結構な重さがあります。
一般的なスーパーの中型カート(30L前後)で約8kg〜10kg、コストコやホームセンターにある大型カートなら、本体だけで約13.5kgもあります。
仕事ではこれを1台ずつ運ぶわけにはいきません。効率よく回収するために、5台〜10台を重ねて(スタッキングして)運びます。これを計算してみると、驚くべき数字になります。
| カートの種類 | 1台の重さ | 10台連結した時の総重量 | 備考 |
| 中型カート | 10kg | 100kg | 一般的なスーパー |
| 大型カート | 13.5kg | 135kg | 大規模モール・ホームセンター |
| 2段式カート | 10kg | 100kg | カゴを上下に置くタイプ |
物理的に見ると、135kgの塊を「止まった状態から動かす瞬間」に一番力が必要です。
しかも現場はツルツルの床ではなく、ザラザラのアスファルト。小石やゴミも落ちていて抵抗が大きく、さらに雨水を流すために地面が少し傾斜していることもあります。つまり、「135kgの鉄の塊を、デコボコの坂道で押し上げる」場面が頻繁にあるわけです。これが、「足よりも腰や背中にくる」原因です。
1.2 ハーフマラソン並み? 移動距離と足への衝撃
もう一つの負担は「歩く距離」です。調査によると、カート回収スタッフは休憩なしで5〜6時間歩き続けることも珍しくありません。
少しゆっくりめの時速3.5kmで計算しても、5時間で約17.5km。8時間のフルタイムなら25kmを超えます。これはハーフマラソン以上の距離です。
しかも、ランニングシューズで整備されたコースを走るのとはわけが違います。硬い安全靴を履き、硬いアスファルトの上を歩くため、足の裏や膝への衝撃はかなりのもの。さらに、長いカートの列を曲げるために横方向の力も使うので、股関節や足首にも独特のねじれ負荷がかかります。
1.3 天候との戦い:夏はサウナ、雨はスリップ
この仕事のハードさを決定づけるのが「天気」です。
- 夏の「ダブル熱攻撃」:
真夏の駐車場は、環境省の基準でも「危険」レベルになりがちです3。アスファルトは熱を溜め込むので、頭からの直射日光だけでなく、足元からの照り返しが強烈です。まさに上と下から熱されるフライパンの上のような状態。こまめな水分補給をしないと、あっという間に熱中症になります。 - 雨の日の「スリップ」リスク:
雨の日は、カッパを着て蒸れる不快感もありますが、もっと怖いのは「滑る」ことです。濡れた路面やタイル、点字ブロックの上では、カートの車輪が驚くほど滑ります。100kg超えのカートが横滑りし始めると、人間の腕力では止められません。車や人にぶつかるリスクが一気に高まる、気の抜けない時間帯です。
お店によって全然違う! 3つの現場タイプ
ひとくちに「カート回収」といっても、働く場所によって内容は天と地ほど違います。大きく3つのタイプに分けてみましょう。
2.1 コストコ型:もはや重機オペレーター
コストコのような巨大倉庫店では、人力の限界を超えているため、機械の力を借ります。「QuicKART(クイックカート)」という専用のマシンを使います。
- マシンの性能:原付バイク並みのパワーがあり、30台以上の大型カート(総重量400kg超!)をグイグイ押してくれます。
ここでの仕事は「肉体労働」というより「マシンの操縦」です。リモコンを使って長いカートの列(スネークと呼ばれます)を操り、車や人を避けながら誘導するテクニックが求められます。体の疲れよりは、事故を起こさないように周囲に気を配る「精神的な疲れ」がメインになります。
2.2 IKEA型:広い敷地と施設管理
IKEAなどの大型家具店での回収業務は、コストコ型とスーパー型の中間です。
特徴的なのは、普通のカートだけでなく、家具を載せる平らな台車(フラットベッドカート)も回収すること。台車は重ねにくいので一度に運べる数が少なく、往復回数が増えがちです。
一方で、外資系らしく安全管理がしっかりしていたり、駐車場が比較的フラットだったりと、働きやすさに配慮されている面もあります。
2.3 一般スーパー・モール型:人力総力戦
求人が一番多く、そして一番「きつい」と言われるのがここです。
電動マシンなどの文明の利器はなく、ほぼ100%人力(手押し)です。
しかも、古い店舗だとアスファルトがボロボロだったり、敷地が狭くて急な坂があったりと、環境が悪いこともしばしば。
専任スタッフがおらず、品出しやレジ担当が兼任するケースも多く、「忙しいからカート回収行ってきて!」と急に振られるストレスもあります。一方で、シルバー人材センターの方々が長年のコツを駆使して活躍しているのもこの領域です。
「車にぶつけたら自腹?」 弁償と法律のリアル
応募をためらう最大の理由がこれでしょう。「高級車にカートをぶつけて傷をつけたら、何十万円も請求されるんじゃ…?」という不安です。法律の観点から解説します。
3.1 「罰金」や「天引き」は法律で禁止されています
まず安心してほしいのは、労働基準法(第16条)のルールです。
「ミスをしたら罰金〇〇円」「備品を壊したら給料から引く」といった契約は、法律で禁止されています。もし入社時にそんな誓約書を書かされても、法的には無効です。仕事上のミスで、即座に給料が没収されるようなことは日本では許されません。
3.2 もし事故が起きても、個人の負担は限定的
では、絶対に責任を負わなくていいのかというと、そうではありません。民法上は、不注意で他人に損害を与えれば賠償責任が発生します。
しかし、会社は従業員を働かせて利益を得ている以上、そのリスクも負うべきだという「報償責任」の考え方があります。
過去の裁判例を見ても、従業員個人に請求できるのは、以下のようなケースに限られます。
- わざとやった(故意):悪ふざけでカートを滑らせたなど。
- 重大な過失:「一度に運ぶのは10台まで」というルールを無視して20台運び、制御不能になったなど。
普通に真面目に仕事をしていて起きた「うっかりミス(軽過失)」であれば、個人に高額な修理費を請求されることはまずありません。
3.3 自分の身を守るために
現実的には、まともな会社なら保険に入っています。
ただし、以下の2点だけは絶対に守ってください。
- 事故隠し(当て逃げ)は絶対NG:
怖くなって報告せずに逃げると、それは業務上のミスではなく「悪質な行為」とみなされ、保険が下りなかったり、懲戒処分になったりします。正直に報告するのが一番傷が浅く済みます。 - 面接で確認する:
「万が一の対物事故の保険には入っていますか?」と聞いてみましょう。ここで言葉を濁すような会社は避けたほうが無難です。
発想の転換! 「お金がもらえるジム」として考える
「きつい」仕事も、見方を変えれば「トレーニング」になります。どれくらいの運動効果があるのでしょうか?
4.1 驚異のカロリー消費量
運動の強さを表す単位(METs)を使って計算してみましょう。「荷物を運んで歩く」強度はかなり高く、体重60kgの男性が5時間働くと…
- 消費カロリー:約1,890kcal
これは、約30kmのランニングに匹敵します。成人男性の1日分の基礎代謝を、半日のバイトだけで消費してしまう計算です。
実際に「始めて3ヶ月で勝手に体重が落ちた」「足腰が強くなった」という声は非常に多いです。月1万円払ってジムのランニングマシンで歩く代わりに、時給をもらいながら有酸素運動と筋トレができると考えれば、かなりお得ではないでしょうか。
4.2 骨も丈夫になる?
単に痩せるだけでなく、骨に適度な衝撃が加わることで骨密度が上がったり、心肺機能が強化されたりするメリットもあります。
ただし、猫背で無理に押すと腰を痛めます。正しい姿勢を意識して、「労働」を「ワークアウト」に変える意識を持つことが大切です。
第5章:向き不向きの分かれ道「孤独と自由」
肉体的なきつさ以外に、メンタル面での相性も重要です。
5.1 「賽の河原」に耐えられるか
カート回収は「終わりのない仕事」です。駐車場をきれいにして戻ってきても、数分後にはまたカートが放置されています。
これを「徒労(ムダな苦労)」と感じてしまう人は続きません。逆に、「今、目の前のカートを片付ける」ことだけに集中できる人なら、一種のマインドフルネス(瞑想)のような時間になります。
5.2 わずらわしい人間関係がない
「接客は苦手だけど、完全に一人も寂しい」という人には絶妙な距離感です。
レジのように決まりきった会話はありませんが、外国人観光客やお年寄りから「ありがとう」と声をかけられたり、差し入れをもらったりする温かい交流もたまにあります。
また、店内の上司の監視から離れて、自分の裁量でルートを決めて動ける「プチ自由」も魅力の一つ。頭の中で好きな音楽を流しながら(イヤホンは禁止でも脳内で!)、淡々と体を動かすのが好きな人には天職かもしれません。
これで楽になる! プロの装備とコツ
これから始める人、いま辛い人のための「生存戦略」を紹介します。
6.1 道具にはお金をかけよう
会社支給のものだけで頑張るのはやめましょう。自腹を切ってでも揃えるべき「三種の神器」があります。
- 高機能インソール(中敷き):
支給される安全靴は底が硬いことが多いです。スポーツ用の衝撃吸収インソール(2,000円〜3,000円)を入れるだけで、足の疲れが劇的に減ります。これは投資必須です。 - グリップ手袋:
素手や普通の軍手は滑りやすく、無駄な握力を使ってしまいます。ゴムでコーティングされた作業用手袋(数百円)なら、軽い力でガッチリ掴めます。 - スポーツ用ソックス:
普通の綿の靴下は汗で濡れると皮がふやけて、マメの原因になります。登山用などの速乾性ソックスを選びましょう。
6.2 効率よく回るコツ
ただ歩き回るのではなく、ゲームのように攻略しましょう。
- 一筆書きルート:駐車場をエリアに分けて、無駄なく回れるルートを作ります。
- 遠くから攻める:遠くのカートを少数回収し、店舗に戻りながら近くのカートを合流させて台数を増やしていくと、重い状態で歩く距離を短くできます。
第7章:お給料と将来性
7.1 時給はどれくらい?
最近の求人データ9を見ると、時給は1,078円〜1,230円程度。深夜の仕分けバイトなどに比べると、決して「高時給」とは言えません。
しかし、「年齢不問」「未経験OK」というハードルの低さは魅力です。特に定年後のシニア層にとっては、自分のペースで働ける貴重な場所になっています。
7.2 AIに仕事は奪われる?
将来的には自動化されるかもしれませんが、すぐにはなくなりません。
コストコのようなマシン導入は進んでいますが、複雑な駐車場で自動ロボットが走り回るのは、安全面でまだ難しいからです。向こう数年〜10年単位では、人間の力が必要とされ続けるでしょう。
結論:この仕事は「あなた」に向いているか?
結論として、カート回収バイトは肉体的には間違いなくハードです。でも、それは「理不尽なストレス」ではなく、心地よい「スポーツ後の疲労感」に近いものです。
もしあなたが以下のどれかに当てはまるなら、この仕事は「天職」になるかもしれません。
- ジムに通うのは面倒だけど、お金をもらいながら体を鍛えたい。
- 職場の人間関係や、理不尽なクレーム対応にはもう疲れた。
- 自分のペースで黙々と作業をして、達成感を味わいたい。
- オフィスに座りっぱなしは苦痛。空の下で体を動かしたい。
逆に、腰痛持ちの方や、紫外線が極端に苦手な方には、正直おすすめできません。
「きつさ」の正体を正しく知って、良い装備で準備をすれば、案外悪くない仕事ですよ。

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